習慣


イランの人達はそのほとんどがイスラム教徒であり、彼らの生活のあらゆるところにイスラムの教えが根づいており、そのため彼らの考え方、習慣もイスラムという宗教と強く結びついています。中でも礼拝は、大変重視されていますす。礼拝は日々の生活の基本となっており、単なるイスラム教徒の義務というだけではなく、イランの人達の生活の、ある意味中心をなすものでもあります。人々は礼拝により、神を近くに感じようとし、礼拝は人々の心やその人生観にまで影響を及ぼしています。神を感じるのですから、その前に身の回りを清めておかなければなりません。顔や手足を清め、同じように礼拝用のカーペット、モスク等の礼拝所、礼拝時の服装、全てが、清められた状態のものでなければなりません。イラン人は子供の頃から、礼拝について教え込まれます。礼拝は決まった時間に日々行われます。イランの町には、礼拝を呼びかける表示や、礼拝所がどのような田舎へ行っても存在します。これは、彼らにとって、いかに礼拝が重要な行為であるかの表われです。

 

また、礼拝の他にも、毎年行われる断食(ラマダン)もイスラム教徒の行の一つで、イランの人達も病人や子供を除いては、毎年行います。ラマダンの時期には、日中街中のレストランは閉まります。年に一度、日出から日没までの間の飲食を断つことにより、貧しい人々の苦しみを知ります。喜捨の精神も人々の心に根付いています。富める者が貧しき者へ、その富の一部を分け与える、施しの精神です。イランの街中には、あちあこちらに、喜捨(施し)の箱が設置されています。

 

食べ物にも宗教(イスラム)が影響しており、豚肉は食さず、アルコールも飲みません。その代わりにチャイと呼ばれるお茶(紅茶)をよく飲みます。このお茶を飲む伝統的なイランの喫茶店がチャイハネです。 イランの人達は、日本人が居酒屋でお酒を飲みながら、仕事の話、世間話、愚痴の言い合いなどをするのと同じように、チャイハネで紅茶を飲みながら語り合い、また水たばこを楽しみます。

 

尚、暦の上でのイスラㇺの祝・祭日等には、よく知られているものでは犠牲祭、アシュラ―があります。これらも全て宗教関連の休日です。イランの年末は3月で、ノール―ズと呼ばれるイランのお正月(新年)は、3月20日頃から始まります。この時期は学校も会社、商店も連休となります。イラン社会が通常に戻るのは、大体4月の3~4日以降からとなります。ノールーズの期間中は、日本の年末年始と同様に都市部で働く人達は、実家のある地方へ戻り、イラン国内で人々の大移動があります。イランの人々は家族と共に新年を祝い、ノールーズの休暇を過ごします。イランの人たちは、家族と共に過ごす時間を大切にします。

 

 その他にも、イランの各地方により様々なその土地の習慣があります。

 

 


女性が体を隠す習慣

 

 

イランだけではなく、女性が体を覆い隠す習慣は他のイスラムの国でも見られますが、イスラム教の聖典「コーラン」にその記載がり女性達はそれに従っているわけです。イランでは、アケメネス朝時代、上流階級の女性はベールを隔てて、他人と会うのが一般的でした。イスラム期に入り、貴族・上流階級の習慣であった覆いの習慣が一般庶民の中にも生まれてきました。昔は、単に頭からすっぽりとかぶって、身体全体を隠すことのできる丈の長い布をまとっていましたが、19世紀になるとヨーロッパ文化の影響で、おしゃれ感も含まれた短い丈のチャドルを着る女性も現れました。

現在イランで女性服装は、公の場では髪を覆い隠し、肌を露出しない服装が一般的な装いです。全身隙間もなく覆い隠した女性も少なからず居ます。チャドルは、男性を無用に迷わすことが無いように、女性らしい部分を隠し、女性の行動、個性を制限し、これにより一方では女性を保護していることにもなります。女性は保護されるべきものであり男性の保護の下に置かれる。これは男性中心(上位)の社会のと見られますが、同時に女性保護の社会でもあります。 

尚、イスラム教徒ではない外国人旅行者でも女性の場合は、イラン国内の公の場においてはこの習慣に準じた服装をします。


男性の服装と、髭の意味するところ

イランの男性は、仕事時も、正装時も通常ネクタイはほとんどしません。ネクタイはアメリカ人ビジネスマンの象徴のため、背広にノータイが一般的です。また、男性も、(特に礼拝の時は、)女性と同様に肌の露出の多い服装はしません。 

また、欧米人のように初めてあった人と握手する場合は、相手が女性の場合は、握手をしません。

イラン革命の前後の時期には、イランの男性の髭はその人の政治的立場の象徴ででした。 

アゴヒゲは保守的なイスラム教徒のしるであり、口ヒゲは、初代大統領・バニーサドルを支持する人々の象徴でした。髭なしは、西欧主義者とされ、その頃のイランの男性は、ほとんどがアゴヒゲを伸ばしていました。

古代、アレキサンダー大王は立派な口髭を蓄えていたといいます。古代遺跡の中には、髭を蓄えた兵士の姿が沢山描かれています。今は、口ひげを蓄える若者も少なくなりましたが、髭は古代より権力の象徴でした。